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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)3998号 判決 1984年7月18日

原告(選定当事者)

坂本重徳

(選定者は別紙〔略〕選定者目録記載のとおり〔坂本重徳ほか五四名〕)

右訴訟代理人弁護士

斎藤浩

橋本二三夫

高橋典明

被告

社会福祉法人大阪暁明館

右代表者理事

天野利三郎

右訴訟代理人弁護士

石田好孝

久岡英樹

主文

一  被告は原告(選定当事者)に対し、選定者坂本祐子につき別表(略)(五)の請求額(一)欄記載の金員、その余の選定者らにつき別表(一)ないし(四)の各請求額(一)欄記載の各金員、及びこれらに対する昭和五八年六月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告(選定当事者)に対し、選定者坂本祐子につき別表(五)の請求額(二)欄記載の金員、選定者坂本祐子・同河野芳子を除くその余の選定者らにつき別表(一)ないし(四)の各請求額(二)欄記載の各金員を支払え。

三  被告は原告(選定当事者)に対し、昭和五九年五月以降本判決確定の日まで毎月二五日限り、選定者坂本祐子については別表(五)の将来請求月額欄記載の金員、選定者坂本祐子・同河野芳子を除くその余の選定者らについては別表(一)ないし(四)の将来請求月額欄記載の各金員を支払え。

四  原告(選定当事者)の将来の給付請求のうち、本判決確定の翌日以降の請求部分を却下する。

五  原告(選定当事者)のその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用は被告の負担とする。

七  この判決は原告(選定当事者)の勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告(選定当事者)に対し、各選定者につき別表(一)ないし(四)の各請求額(一)欄記載の各金員及びこれらに対する昭和五八年六月一九日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告(選定当事者)に対し、各選定者につき別表(一)ないし(四)の各請求額(二)欄記載の各金員、並びに昭和五九年五月以降毎月二五日限り別表(一)ないし(四)の各将来請求月額欄記載の各金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告(選定当事者)の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告(選定当事者)の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1(一)  選定者らは被告に雇傭されている職員(但し、選定者河野芳子は昭和五八年二月に退職した。)であるが、被告から昭和五五年度以降現在まで別表(一)ないし(四)の基本給昭和五五年度欄記載の基本給の支給を受けている(選定者河野芳子については昭和五八年一月末日まで)。

(二)(1)  被告が制定した就業規則三二条には「職員の賃金、昇給、退職金、その他諸給与については別に定める。」と規定されており、右規定をうけて被告は給与規定を定めており、その一四条には「病院の提供する住宅に居住する者以外に住宅手当として世帯主は基本給の一〇パーセント、独身者は五パーセントを支給する。」と規定されている。

(2) ところで、選定者番号1、2、4、7、12、13、15、17、32、34ないし36、48、51、53、54の各選定者らは、病院の提供する住宅に居住する者以外の者でかつ世帯主であるから、住宅手当として基本給の一〇パーセントの金員を支給されるべき地位にあり、昭和五五年度以降現在まで前(一)記載の基本給の一〇パーセントの住宅手当を支給されている。

また、選定者番号3、5、6、8ないし11、14、18、19、21ないし31、33、37ないし44、46、47、49、50、52、55の各選定者らは、病院の提供する住宅に居住する者以外の者でかつ独身者であるから、住宅手当として基本給の五パーセントの金員を支給されるべき地位にあり、昭和五五年度以降現在まで(選定者河野芳子については昭和五八年一月まで)前(一)記載の基本給の五パーセントの住宅手当を支給されている。

(三)  被告の給与規定四条には「給与は当月の一日から月末までを一カ月分として計算し二五日に支給する。」と規定されている。

(四)  被告は選定者らに対し、昭和五七年六月に基本給の〇・七五倍の一時金、同年一二月に同じく一・二倍の一時金をそれぞれ支給することを約し、前(一)記載の基本給を基礎として計算しそれぞれ支給した。

2  ところで、被告の給与規定二二条には「基本給の昇給は別に定める給与等級表により行う。定期の昇給に要する経過期間は一年とし、昇給の調査は一月、四月、七月、一〇月と就業年月日に区分して行う。(註、経過期間とは前回昇給又は就業年月日より当該昇給の調査までとし、昇給の調査とは昇給資格の有無を調査することをいう)。」と規定されている。

3(一)  右被告の就業規則及びその付属規定である給与規定は法的規範として被告及び選定者らを拘束するものであるところ、右給与規定二二条の規定は、その経過期間を経過した選定者らについては、被告の何らの意思表示を要することなく、当然に被告が定めた給与等級表の各一つ上の等級の基本給に昇給するものと解せられる。

(二)  したがって、選定者らは別表(一)ないし(四)の基本給五六年度、五七年度、五八年度欄に記載された各始期において同各記載の基本給にそれぞれ昇給したものである。そして、住宅手当を受けるべき地位にある者は各昇給した基本給に前1(二)(2)記載の各割合に応じた住宅手当を支給されるべきである。また、一時金についても昇給した基本給に前1(四)記載の各定められた倍率を乗じた額が支給されるべきである。

4(一)  仮に給与規定二二条の規定によって被告の意思表示を要することなく、当然に昇給するものではないとしても、被告は選定者らに対し、少くとも給与規定二二条に基づき経過期間を経過した選定者らについては給与等級表の一つ上の等級に昇給させるべき債務を負っているものと解せられる。

(二)  したがって、被告は選定者らに対し、別表(一)ないし(四)の基本給五六年度、五七年度、五八年度欄に記載された各始期において同各記載の基本給に昇給させるべき債務があり、かつ、住宅手当を支給される地位にある者に対しては昇給すべき基本給に前1(二)(2)各記載の各割合に応じた住宅手当を支給すべき債務がある。また、一時金についても、被告は選定者らに対し昇給すべき基本給に前1(四)記載の各定められた倍率を乗じた額を支給すべきである。

5  仮に3・4が理由がないとしても、被告は選定者らに対し、不法行為に基づく損害賠償義務がある。すなわち、

(一) 選定者らはいずれも大阪暁明館職員組合(以下「職員組合」という。)に所属している者であるが、天野利三郎理事長、清水増三常任理事らはその就任した直後である昭和五三年末ころから職員組合を嫌悪し、組合要求に対し誠意ある態度を示さず、団体交渉の申入れにつき人数、時間等に制限を加え、職員組合を暴徒集団のごとき虚偽の文章を乱発掲示した。

(二) このため職員組合の内部から上部団体の指導を求める声があがり、昭和五四年六月二八日同組合臨時大会にて上部団体たる大阪地方医療労働組合協議会(以下「上部団体」という。)に加盟することの承認と夏期一時金、労働条件改善等を求めてスト権を確立し、同年七月二日には争議予告通知書を被告に提出し、一方同月四日には上部団体に正式加盟した。

(三) 天野理事長らは右職員組合の上部団体加盟と時を同じくして、昭和五四年七月四日新労務課長にいわゆる労務屋の中作得夫を迎え、一層職員組合を嫌忌し、組合つぶしを図る政策を推進するに至った。

すなわち、被告は度々職員組合との団体交渉を拒否し、懸垂幕を無断で撤去し、組合事務所の使用を妨害し、組合を嫌悪する虚偽文書を掲示する等してきた。

(四) 本件の定期昇給の不実施は以上に記載した職員組合つぶしの一環であり、現に被告は第二組合である大阪暁明館病院労働組合(以下「病院組合」という。)との間においては昭和五七年度及び同五八年度の定期昇給を実施しているのである。

したがって、被告らは選定者らが職員組合に所属していることを理由として不利益な取扱いをしたものであり、右は労働組合法七条一号に違反する違法な行為である。

(五) 選定者らは被告の右違法行為がなかったならば、別表(一)ないし(四)の基本給五六年度、五七年度、五八年度欄に記載された各始期において同各記載の基本給に昇給すべきであったものであり、かつ、住宅手当を支給される地位にある者に対しては昇給すべき基本給に前1(二)(2)各記載の各割合に応じた住宅手当を支給されるべきであり、一時金についても昇給すべき基本給に前1(四)記載の各定められた倍率を乗じた額を支給されるべきであった。

6  選定者らが昭和五七年四月一日以降支給を受けている基本給、住宅手当、同年夏・冬の各一時金と、昇給すべき基本給とそれに基づく住宅手当、同年夏・冬の各一時金の差額は別表(一)ないし(四)の支給された賃金と昇給すべき賃金との差額欄にそれぞれ記載したとおりである。

よって、選定者らが請求すべき賃金、債務不履行又は不法行為により被った賃金相当の損害金は別表(一)ないし(四)の請求額(一)、同(二)欄(請求額(二)欄は本訴提起当時の将来請求のうち、口頭弁論終結時までに期限が到来した金員をまとめたものである)各記載の金員であり、昭和五九年五月以降毎月請求すべき賃金又は賃金相当の損害金は別表(一)ないし(四)の将来請求月額欄記載の金員である。

7  被告は病院を経営し、患者を入院宿泊させることを業とする商人であり、選定者らと被告の労働契約の締結は商人がその営業のためにする付属的商行為である。

8  よって、原告(選定当事者)は被告に対し、賃金請求権、債務不履行による損害賠償請求権、若しくは不法行為による損害賠償請求権に基づき、各選定者らにつき昭和五七年四月一日から昭和五八年五月三一日までの現実に支給された賃金と昇給すべき賃金との差額として別表(一)ないし(四)の各請求額(一)記載の各金員及びこれらに対する訴状送達の翌日である昭和五八年六月一九日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払、各選定者らにつき、昭和五八年六月一日から口頭弁論終結時までに期限が到来した昭和五九年四月三〇日までの賃金として別表(一)ないし(四)の各請求額(二)記載の各金員の支払、各選定者らにつき口頭弁論終結時に期限が到来していない昭和五九年五月一日以降毎月二五日限り別表(一)ないし(四)の各将来請求月額欄記載の各金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)、(二)(1)、(三)の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3は争う。

給与規定二二条により定期昇給を実施するには、被告において昇給資格の調査を行い、更に右調査に基づき被告が昇給の決定をなし、これを各職員に通知することにより昇給の効果が発生するのであって、被告の何らの意思表示もなく当然に昇給するものと解することはできない。

4  同4は争う。

5(一)  同5の冒頭の事実は争う。

(二)  同5(一)の事実は否認する。

(三)  同5(二)のうち、職員組合が原告主張のころその主張の上部団体に加入したこと、被告に対し昭和五四年七月一四日にストライキをする旨通告したことは認め、その余の事実は知らない。

(四)  同五(三)のうち、昭和五四年七月四日事務長付課長に中作得夫が就任したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五)  被告が病院組合員に対し昭和五七年度及び同五八年度の定期昇給を実施したことは認めるが、その余の事実は否認する。

病院組合員については昭和五六年度の定期昇給を実施しないことを条件として昭和五七年度以降の定期昇給を実施したものである。

(六)  同5(五)は争う。

6  同6、7は争う。

三  被告の主張

1  就業規則及びその付属規定たる給与規定は使用者が職場規律維持のために一方的に定めた行為の基本であり、一定の指針とはなり得ても雇傭契約の当事者を法的に拘束するものではない。

2  基本給の昇給は給与等級表により行われるものであるところ、昭和五五年以前においては基本給の昇給は全て賃上げに伴う改訂給与等級表により行われてきており、給与規定二二条にいわゆる給与等級表とは労使慣行上改訂給与等級表を指すとされている。しかるに、被告・職員組合間においては昭和五六年四月以降賃上げ交渉が妥結しないまま現在に至っており、賃上げ交渉妥結に伴う旧給与等級表の改訂が未だ行われていないので各選定者らの昇給額の確定をすることができない。

3  仮に給与規定が一般に雇傭契約の当事者を拘束するとしても、その制定当時に予測できなかった使用者の経営状態の著しい悪化により、雇傭契約の当事者を給与規定により拘束することが信義則上許されない結果となるときは当該給与規定は右当事者を拘束しないものと解すべきである。すなわち、

(一)(1) 被告は社会福祉事業法に基づいて昭和二七年に設立された社会福祉法人であり、その主要な事業活動は大阪暁明館病院を設置し、同病院において医療活動を行うことであり、その事業活動に必要な主たる収入は社会保険支払基金からの診療報酬と患者の一部自費負担分である。そして、被告の主たる費用は人件費、材料費、給食費等である。

(2) 被告の給与規定は、昭和三五年一〇月一日に制定施行されたものであるが、その当時被告の経営は健全であった。

(3) 昭和四七年、当時の中西義章院長は、自己資金もなく、新築に伴う収益の見通しもないままに地上六階、地下二階の新館建設を行い、右新館は昭和四九年度に完成したが、右建築費用二〇億円及びその利息債務が債務として昭和五〇年度以降に残り、被告の経営を圧迫することになった。

(4) また、昭和五一年一一月末ころから昭和五二年四月ころにかけて被告は訴外灘工産株式会社に対し、合計約一億九四〇〇万円の融通手形を振出し、これの手形決済に要した金銭は昭和五六年まで被告の負担として残った。

(5) 以上のとおり、新館建設に関する借入金元利金及び融通手形金の返済が毎年合計約七億〇五〇〇万円(毎月平均約六三〇〇万円)の負担となっていたが、病院収入はこれらの負担に見合う伸びを示さず、赤字は年を追って累積していった。すなわち、昭和五〇年には三億三一七七万円余、同五一年度一億四六八一万円余、同五二年度二億五一八〇万円余、同五三年度一億〇〇二三万円余、同五四年度五六一一万円余、同五五年度一億九二八四万円余の各損金を計上した。

(6) 被告は右の損金につき、当初は被告所有不動産を担保として金融機関から借入れを行い、医薬品会社に対しては医薬品代金の支払繰延べを依頼する等していたが、昭和五三年夏頃には被告所有不動産の担保余力がなくなり、同年冬の一時金の支払いに窮することになった。この事態を打開するため、天野理事長がその個人資産を担保に供することで被告はかろうじて借入れを継続することができた。

(7) しかしながら、その後も被告法人の資金繰りは、借入れ金の月々の返済に追われて常時不足することとなり、被告は、昭和五四年八月七〇〇〇万円、同年一〇月一億円、同年一二月七〇〇〇万円、同五五年一月五〇〇〇万円、同年五月二〇〇〇万円、同年六月七〇〇〇万円、同年八月一億七〇〇〇万円、同年一二月五〇〇〇万円をいずれも天野理事長の個人資産を担保に供することにより借入れた。

(8) 昭和五六年一月には天野理事長の個人資産も担保余力がなくなり、被告はついに同年三月末日には手形の不渡りを出し、支払停止をするに至った。

(9) 昭和五六年五月一九日当時累積赤字は四三億六六〇〇万円余に達していたので、被告は同日大阪地方裁判所に和議手続開始の申立をなし、同裁判所は、昭和五七年一月一二日に和議認可決定をした。

(10) 和議認可決定は得られたものの被告の財政状況は全く好転せず、和議債務の第一回目の履行期である昭和五八年一月末日には支払予定金額六九九八万〇八一九円のうち六二九万三三〇〇円のみしか支払うことができず、大手薬品会社六社に対する六三六八万七五一九円につき支払猶予をしてもらったのである。

(二)(1) 昭和五四年当時は職員組合も被告の前記のような窮状を理解しており、ベースアップの要求もなく、定期昇給のみが実施された。

(2) 昭和五四年七月に職員組合は上部団体に加盟したが、このころから職員組合員らは就業時間中赤腕章を着用したり、病棟に理事、病院幹部を誹謗中傷するおびただしい枚数のビラを貼付したり、地域へビラを配布したり、病院の外壁に懸垂幕を掲げる等の行為をするようになり、このため患者数は激減するに至った。

さらに、職員組合は昭和五五年度の賃上げの交渉において、被告の財政状況を無視して基本給の一二パーセント及び一律一万円の賃上げを要求した。しかしながら、被告はこれに誠意をもって応対し、同年七月ころ定昇込みで六〇〇〇円の賃上げをし、四月に遡って実施することにより妥結した。

(3) 前述のとおり、被告は毎月約六三〇〇万円の借入金元利金の返済債務があり、新館建設の人件費増大、昭和五四年七月以降の職員組合の理事会攻撃と病院内外におけるビラ貼付攻撃による患者数の激減等により病院収入は減少し、累積赤字は年を追って増大していった。そのうえ、昭和五五年度には、職員組合の前記行動にいや気をさして同年四月整形外科担当医師が不在となり、小児科においては約六ケ月担当医師が不在となり、産婦人科においても担当医師が一名減少するに至った。

このため、被告の収入は更に減少し、一層資金繰りを悪化させた。

(4) 昭和五六年三月当時、被告職員三三〇名余のうち定期昇給該当者二四三名が勤務していたが、これらの者について定期昇給を実施すると一年間に、基本給増額分約六七七万六〇〇〇円、住宅手当増額分約三三万五〇〇〇円、賞与(二ケ月分として)増額分約一五〇万三〇〇〇円が必要であり、その他に時間外手当、社会保険料金等の支払増額分約二三三万六〇〇〇円、退職金の積立保険料及び支払額の増額分合計約一五二万七〇〇〇円も加えると、合計約一二四七万七〇〇〇円の資金が必要となる。

しかも、右負担は翌年の資金繰りにも影響し、翌年度も定期昇給を実施するとなれば、その年の負担は前年の定期昇給増額分にその年の増額分を加算することになり、三年間の定期昇給に必要な支払総額は一二四七万七〇〇〇円の三倍以上となり、約三八〇〇万円が必要となる。

(5) しかるに、被告の昭和五五年度の経費は、人件費約九億五〇二万円、医薬品材料費六億六四九四万円、光熱水道費、医療機器賃借料その他維持管理費が約三億六六二九万円、支払利息その他が約三億九九七三万円を要しており、これだけですでに二三億三五九八万円に達している。しかも、これらの費用はいずれも削減できない費用であり、とくに医薬品について昭和五六年三月末の不渡後は約一週間余り薬品会社六社から医薬品の供給を停止され、以後は現金買いとの条件でのみ納入してもらえることとなり、このため、同年四月以後は当該月の現金買いの分と従前からの手形による支払分とをあわせて二重の支払を余儀なくさせられたのである。また、入院患者に対する給食材料の仕入等についても毎月現金にて支払をせざるを得なくなった。

(6) これに対する被告の昭和五五年度の総収入は約二二億〇五八三万円にすぎず、必要経費との差額約一億三〇一五万円が不足し、かかる事態は昭和五六年度においても同様と予想されていた。むしろ、職員組合の被告に対する攻撃は一層過激となっており、また整形外科の後任医師の補充の目途も立っていなかったことから収入は一層減少するものと見込まれていたし、経費の方も物価上昇により増加することはあっても減少することはないものと見込まれていた。その上、昭和五六年度以後は借入金は全く見込みがなく、医薬品等は現金買い以外に購入の途はなかったものであって、被告としては到底定期昇給による増額分を負担することができない状態にあった。

(7) 前記のとおり、昭和五七年一月一二日に被告につき和議認可決定があったが、前理事長中西義章氏は職員組合と結託して入院患者を大量に減少させる等被告の和議による再建妨害行為をなしたため、被告の収入は思うように伸びず、第一回目の和議の履行すら完済することができない状態にあり、到底五七年、五八年の定期昇給を実施する状態になかった。

以上のとおり、被告が給与規定を制定した当時には現在の経営の危殆状態を雇傭契約の当事者双方ともに予測することができなかったもので、給与規定が右当事者双方を拘束することは信義則上許されない事態に至っているものというべきである。

4  仮に以上が認められないとしても、被告給与規定二四条には「次の者には昇給を保留することがある。1、一年のうち三カ月以上欠勤したとき、2、技能著しく不良もしくは勤務怠慢、または素行不良の者」と規定されているところ、選定者坂本祐子は昭和五六年一二月一五日から昭和五七年九月七日まで休職しており、同人については昭和五七年度、同五八年度の定期昇給はありえない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  被告の主張1は争う。

就業規則については合理的な労働条件を定めているものである限り、経営主体と労働者との間の労働条件はその就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとしてその法的規範性が認められるに至っており、被告の給与規定も就業規則の一種であるから雇傭契約当事者を法的に拘束することは明らかである。

2  同2は争う。

従前からベースアップ交渉が妥結しない場合においても被告は旧給与等級表に基づいて自動的に分離して定期昇給のみ実施し、ベースアップ交渉が妥結した場合は新給与等級表に基づき遡及して実施してきたものである。

3  同3も争う。

被告は病院組合に対しては昭和五七年度及び同五八年度の定期昇給を実施しており、職員組合員である選定者らについて定期昇給を実施できない理由はない。

4  同4のうち、被告の給与規定二四条に被告主張の規定があること、選定者坂本祐子が昭和五六年一二月一五日から昭和五七年九月七日まで休職したことは認めるが、同人について定期昇給ができないとの主張は争う。

第三  証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  請求原因1(一)、(二)(1)、(三)の事実は当事者間に争いがない。

また、請求原因1(二)(2)、(四)の事実は被告において明らかに争わないので右事実を自白したものとみなされる。

二  被告の就業規則の付属規定である給与規定二二条は「基本給の昇給は別に定める給与等級表により行う。定期の昇給に要する経過期間は一年とし、昇給の調査は一月、四月、七月、一〇月と就業年月日により区分して行う。(註、経過期間とは、前回昇給又は就業年月日より当該昇給の調査までとし、昇給の調査とは昇給資格の有無を調査することをいう)」と規定していること、同規定二四条は「次の場合昇給を保留することがある。1、一年のうち三カ月以上欠勤したとき、2、技能著しく不良もしくは勤務怠慢、または素行不良の者」と規定していることは当事者間に争いがない。

また、(証拠略)によれば、給与規定の第五章が昇給と題されており、二二条から二六条までの条文があり、二三条は臨時昇給、二五条は昇降格時の昇降給、二六条は給与規定全体についての施行期日が定めてあるのみで、前記二二条、二四条の他には定期昇給に関連した規定がないことが認められる。

そして、(証拠略)によれば、被告は昭和五五年度までは給与規定二二条(昭和五七年三月一九日改正前の同規定二三条と同規定)に基づき、昇給時から一年を経過した職員につき、毎年度欠かさず定期昇給を実施してきたこと、少くとも(人証略)が被告に勤務した五三年一一月以降において、給与規定の二四条に該当するとして定期昇給を保留された者はいなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実を前提として給与規定を解釈すれば、被告がある職員を昇給させるときには当該職員につき昇給に必要な期間を経過したか否か、同規定二四条の欠格事由に該当するか否かを調査し、その調査の結果、被告が当該職員を昇給させるべきものと判断したときは被告から職員に対し昇給させる旨の意思表示をすることにより当該職員につき昇給するものと解すべきである(なお、<人証略>によれば被告がなす定期昇給はとりたてて辞令を交付することなく、給与明細書に昇給した賃金を記載し、現実にこれを支給していることが認められるが、右は、被告が給与明細書に昇給した賃金を記載し、現実にこれを支給することにより、職員に対する昇給の意思表示をしているものと解せられる。)。

したがって、給与規定二二条の規定が、その経過期間を経過した選定者らに対し何らの意思表示を要することなく、当然に被告が定めた給与等級表の各一つ上の等級の基本給に昇給するとの原告の主張についてはその余の判断に及ぶまでもなく理由がない。

三  しかしながら、給与規定二二条に定める昇給資格は、(一)、前回の昇給時から一年を経過したこと、(二)、給与規定二四条に該当しないことの二点であり、これと、給与規定二四条はその性質上限定的列挙と解せられること、しかも、右(一)の要件及び給与規定二四条一号の規定に該当するか否かは当事者双方にとって判断するうえで疑義がないこと、並びに、前認定の昭和五五年度以前の定期昇給の実態に鑑みれば、原告(職員)側において右(一)の要件があるときは、被告は右(二)の要件を主張、立証しない限り、選定者らに対し、給与規定に基づき同規定引用の給与等級表の一つ上の等級に昇給させるべき債務を負っているものと解するもの(ママ)が相当である。

四  そこで、被告の主張1について判断するに、労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至っているものということができる(最高裁昭和四三年一二月二五日大法廷判決、民集二二巻一三号三四五九頁参照)。

(証拠略)によれば、被告の給与規定は就業規則の付属規定であり、その規定はいずれも合理的であり、しかも、被告は昭和三五年一〇月一日に就業規則及び給与規定を制定して以来現在まで、被告とその労働条件は右就業規則及び給与規定に従って運用されてきたものであるから、被告の就業規則及び給与規定は被告に勤務する労働者のみならず、被告自身をも法的に拘束するものというべきである。

よって、被告の主張1は失当である。

五  次に、原告の主張2について判断する。

給与規定二二条は、「基本給の昇給は、別に定める給与等級表により行う。」と規定しているところ、右給与等級表とは、最も新しく制定された給与等級表を示していることは規定の解釈上当然である。

また、(証拠略)によれば、昭和五三年度のベースアップの交渉は昭和五三年一〇月ころ妥結し、新給与等級表が作成されたが、右妥結前に同年度の定期昇給は前年度に制定された給与等級表に基づいて実施されたことが認められるのであって改訂給与等級表が作成されるまで定期昇給額を確定し得ないとする被告主張の慣行を認めるに足る証拠はない。

したがって、ベースアップをしないときはもちろん、ベースアップ交渉が妥結しない場合においても、被告は職員に対し、制定された最後の給与等級表により定期昇給を実施すべき債務を負っているものというべきである。

よって、被告の主張2も理由がない。

六  次に、被告の主張3について判断する。

1  (証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)(1)  被告は社会福祉事業法により昭和二七年に設立された社会福祉法人であり、設立当初から現在までの唯一の事業活動は大阪暁明館病院を設置運営し、その医療活動を通じて、生活困窮者等への医療援助を行うことであり、同病院は耳鼻科、歯科を除くほとんど全ての診療科を有し、昭和五六年五月当時においてはベッド数三八三床、常勤、非常勤医師三三名、看護婦一〇〇名、看護学生、検査技師、薬剤師、事務職員等約二〇〇名の職員が従業していた。

(2)  被告の主たる収入は、医療収入すなわち社会保険支払基金からの診療報酬と患者の一部自費負担分であり、主たる費用は人件費、医薬品等の材料費、給食費等であり、設立当初から昭和四九年度までは概ね健全な経営を続けてきた。

(3)  ところで、被告は、昭和四七年に総工費二〇億円余をかけて、地上六階、地下二階の新館建設工事を発注し、同新館は昭和五〇年一月に完成した。被告は当時自己資金がなかったので、右建設費用はほとんど全て借財でまかなわれ、昭和五〇年度以降に右元金債務及び利息債務の支払を余儀なくされた。

(4)  また、被告は、昭和四九年、五〇年の二回にわたり、本館を老人病棟に改築するという名目のもとに大阪府の社会福祉事業団から二億二〇〇〇万円を借受けたが、これを被告の運転資金に流用したため、右事業団から本館改築の督促を受け、昭和五一年八月に五億五〇〇〇万円の費用をかけて本館改築工事に着工し、同工事は翌五二年一月に竣工したが、右工事費も全額借入れ金でまかなったので、利息債務を含め総額約八億五〇〇〇万円を昭和五六年五月まで毎月負担することになった。

(5)  右(3)記載の債務については昭和五〇年度以降、右(4)記載の債務については昭和五二年度以降に毎月負担することとなったが、特に昭和五二年以降は毎月約六〇〇〇万円の債務の支払を余儀なくされ、これに対して被告の収入はこれらの負担に見合う伸びを示さなかったため、昭和五〇年度は三億三一七七万円余、同五一年度は一億四六八一万円余、同五二年度は二億五一八〇万円余、同五三年度は一億〇〇二三万円余、同五四年度は五六一一万円余、同五五年度は一億九二八四万円余の各損金を計上した。

(6)  被告は右の損金につき、昭和五二年度までは被告所有不動産を担保として金融機関から借入れを行い、医薬品会社に対しては医薬品代金の支払繰延べを依頼する等してこれをしのいでいたが、昭和五三年夏頃には被告所有不動産の担保余力がなくなるに至った。そこで、右以降は天野理事長がその個人資産を担保に供することにより借入れを継続し、その損金を補填した。

(7)  しかしながら、昭和五六年一月には天野理事長の個人資産も担保余力がなくなり、かつ、昭和五五年の年末賞与の支払を遅滞し、同年一二月に従業員から被告の社会保険診療報酬支払基金に対する診療報酬債権を仮差押され、これがために昭和五六年三月末日に支払うべき約束手形の支払ができず、第一回の不渡りを出し、支払を停止するに至った。

(8)  昭和五六年五月一九日当時、被告の資産は、非常貸借対照表により流動資産約六億四一〇三万円余、固定資産三七億七〇〇〇万円余であり、負債は支払手形一二億二五二〇万円余、買掛金一億三三一二万円余、短期借入金三〇〇〇万円、未払金二億五二九八万円余、長期借入金二九億一四二〇万円があり、正味資産負債において一七七二万円の債務超過にあるとして、同日大阪地方裁判所に和議手続開始の申立をなし、同裁判所は昭和五七年一月一二日左記の和議条件による和議認可の決定をした。

(ア) 債務者は和議債権者に対し、和議債権元本のうち七〇パーセントを左のとおり支払う。

和議認可決定確定後一一カ月後の該当月の末日を一回目として向う五年間にわたり毎年一回右該当月の末日に二〇パーセント宛

(イ) 和議債権者は和議債権元本の三〇パーセント及び利息、損害金を免除する。

(9)  しかしながら、和議認可決定後、主として昭和五七年三月以降第三内科の医療収入の減少により、和議債務の第一回目の履行期である昭和五八年一月末日には支払予定金額六九九八万〇八一九円のうち六二九万三三〇〇円のみしか支払うことができず、大手薬品会社六社に対する支払予定額六三六八万七五一九円につき支払の猶予を得た。

(二)(1)  被告の給与規定は昭和三五年一〇月一日に制定され、右以降昭和五五年度まで定期昇給は欠かさず実施されてきた。

(2)  昭和五六年三月当時、被告職員三三〇名余のうち定期昇給該当者二四三名が勤務していたが、これらの者について定期昇給を実施すると一年間に、基本給増額分約六七七万六〇〇〇円、住宅手当増額分約三三万五〇〇〇円、賞与(二ケ月分として)増額分約一五〇万三〇〇〇円が必要であり、その他に時間外手当、社会保険料金等の支払増額分約二三三万六〇〇〇円、退職金の積立保険料及び支払額の増額分合計約一五二万七〇〇〇円も加えると、合計約一二四七万七〇〇〇円の資金が必要であった。

(3)  被告の昭和五五年度の経費は、人件費約九億五〇二万円、医薬品材料費六億六四九四万円、光熱水道費、医療機器賃借料その他維持管理費が約三億六六二九万円、支払利息その他が約三億九九七三万円合計二三億三五九八万円に達している。右のうち、医薬品について昭和五六年三月末の不渡後は約一週間余り薬品会社六社から医薬品の供給を停止され、以後は現金買いとの条件でのみ納入してもらえることとなり、また、入院患者に対する給食材料の仕入等についても毎月現金にて支払をせざるを得なくなった。

(4)  これに対する被告の昭和五五年度の総収入は約二二億〇五八三万円であり、必要経費との差額約一億三〇一五万円が不足していた。

(三)  被告は、病院組合員に対して昭和五六年度の定期昇給を実施しなかったが、昭和五七年度、同五八年度の定期昇給は給与規定に基づいて実施した(この点については当事者間に争いがない)。

以上のとおり認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

2  (証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

(一)  職員組合は、昭和五四年六月までは被告理事会に対し概ね協力的であったが、同年七月に上部団体に加入してからは理事会に批判的な態度をとるようになり、その前から理事会と対立していた中西義章院長を支援するようになった。そして、そのころから被告理事会を批判する文書を病院内に貼付したり、病院外で一般人に配布することがあり、同旨の懸垂幕を病院の外壁に掲げたり、また、病院内で就業時間中に赤腕章をつけて就労することがあった。

(二)  また、病院に勤務する職員は昭和五三年度に七二名、同五四年度に九三名、同五五年度に一二五名、同五六年度に九〇名、同五七年度に一三五名退職した。また、医師は昭和五四年六月から同五五年九月にかけて一二名が退職し、昭和五五年四月には整形外科の担当医師が不在となり、以後後任の医師が着任しないという事態が発生し、また、小児科においても担当医師が六ケ月間不在となり、産婦人科においても担当医師が一名減少した。

(三)  また、患者数は昭和五三年は入院一〇万〇五九一名、外来一三万三一四四名、同五四年は入院一二万七四四〇名、外来一七万〇二四八名、同五五年は入院一一万七六一七名、外来一三万二六九二名、同五六年は入院一一万一二四二名、外来一一万一三四八名、同五七年は入院九万六九七七名、外来一〇万〇五三九名(いずれも延数)である。

(四)  中西義章院長が一人で担当していた第三内科は昭和五七年三月までは入院患者は常時約二四〇名、外来は一日一七〇名ないし一八〇名あり(右患者を処理するのに必要な医師の数は本来一四ないし一五名である)第三内科の収入は病院全体の医療収入の約七〇パーセントを占めていたが、昭和五七年四月から同科の入院患者は減少しはじめ、昭和五七年一〇月には約一五〇名となり、右入院患者の減少が即ち被告収入の減少となり、前記のとおり昭和五八年一月に支払うべき和議債権への弁済が不能となった。因みに第三内科を除く他科の収入は昭和五七年五月以降漸増しており、昭和五八年二月当時において、第三内科の収入は病院全体の収入のうち約五三・二パーセントを占めている。

以上のとおり認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

右事実によれば、昭和五三年度以降医師及び職員の退職者が増加し、入院患者数が昭和五四年を頂点として減少していることが認められるところ、被告は右の原因はひとえに選定者らが所属する職員組合の前(一)に記載した組合活動にあると主張するが、医師・職員の減少は被告の経営危機に対する職員の不安、低賃金に由来する可能性も十分あり、患者の減少は右経営の不振あるいは頻繁に交替する医師又は職員に対する不信感情に由来する可能性も否定できないものというべきである。なお、(人証略)は右被告の主張にそう証言をしているが、同証言は同人の主観的な推測に基づく意見陳述にすぎないので右被告の主張を認めるに十分でなく、他に右被告の主張を認めるに足りる証拠はない。

また、前認定の事実によれば第三内科の入院患者数が昭和五七年四月以降減少していることが認められるところ、被告は、また職員組合と中西義章医師が結託して故意に和議条件の履行を困難にしている旨主張する。

しかしながら、昭和五七年三月以前の第三内科において、前(四)記載の入院・外来患者数を一人の医師で診療してきた実態自体異常であるというべく、第三内科に被告の全収入の約七〇パーセントを依存してきた被告の体質こそ問題であったというべきである。なお、第三内科の入院患者数が減少し、他科の収入合計が増加した昭和五八年二月においても、第三内科の収入は病院全体の収入の約五三・二パーセントを占めており、この点からみれば、なお中西医師の病院全体における貢献度は高いというべきである。確かに、前記のとおり第三内科の入院患者数は減少しているが、その原因が中西医師の診療時の裁量、外来患者の減少(前認定のとおり昭和五七年は前年に比べ病院全体の外来患者は減少している)、患者側の事情等の可能性も否定できないのである。また、中西医師が理事会に対する個人的な怨恨をもって入院患者数を減少させている可能性もあり得ないことではなく、職員組合は中西医師と日頃協同歩調をとっていることも前認定のとおりであるが、和議条件の履行を妨害することは、賃金についてのベースアップの停止や被告の破産の招来等の事態が予想されるので、職員組合にとって不利益でこそあれ、利益を伴うことはないというべきである。

したがって、中西医師と職員組合が結託して第三内科の入院患者数を減少させたとする被告の主張にそう(人証略)は、これもまた同証人の主観的な推測に基づくもので採用することはできず、他に右被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

3  給与規定について、事情変更の原則が適用されるための要件(規定の改正手続を経ることなしに直接その規定の効力を否定できるかどうかは疑問ではあるが、この点はしばらく措く)としては、少くとも、(一)、給与規定の制定当時の事情が後日著しく変更すること、(二)、右事情の変更は右制定当時当事者が予見せず、かつ予見し得なかったものであること、(三)、事情の変更は当事者の責に帰すべからざる事由によって生じたこと、(四)、事情が変更した結果、規定どおりに当事者を拘束することが信義則に照らし著しく不当であると認められることが必要であると考えられる。

ところで、前認定の事実によれば、被告の給与規定が制定された昭和三五年当時においては被告の経営は概ね順調であったが、昭和五六年三月末日には手形の不渡を出し、債務超過の状態となったことが認められ、右は給与規定のうち定期昇給規定につき事情変更の原則の要件を考慮するについての著しい事情の変更であるということができる。

しかしながら、右事情の変更は、前1(一)(3)、(4)の事情、とりわけ被告が自己資金もなく、収益の見通しもないままに総額二〇億円を借受けて新館建築工事を実行したことによるものであり、選定者らにその責はなく、専ら被告の経営の失敗に帰因するものというべきである。そして、被告は昭和五〇年度以降の被告の収入の減少について選定者らにもその責があると主張するが、選定者らにその責を帰することができないことは2で述べたとおりである。そして、以上の事情からすれば、給与規定二二条につき、その規定どおりの拘束力を認めたとしても信義則に照らし著しく不当であるということはできない。

したがって、前記要件のうち、少くとも(三)、(四)の要件を欠くことは明らかであるから、被告の主張3は理由がないというべきである。

七  次に被告の主張4について判断する。

被告の給与規定二四条に被告主張の規定があることは前記のとおりであり、選定者坂本祐子が昭和五六年一二月一五日から昭和五七年九月七日まで休職したことは当事者間に争いがない。

したがって、被告は同選定者に対し昭和五五年四月一日から一年を経過した昭和五六年四月一日に別表(五)の基本給五六年度欄記載の基本給に昇給させるべき債務を負っているものと解すべきであるが、昭和五七年度、同五八年度の定期昇給についてはいずれも給与規定二四条一号に該当するので、両年度とも昇給させないか、一年度について昇給させるか、若しくは両年度とも昇給させるかはいずれも被告の裁量の範囲内にあり、当事者間に具体的な債権債務関係を形成していないものというべきである。

そして、仮に請求原因5記載の不法行為に基づく損害賠償請求権が認められるとしても右両年度については同理由で損害が発生したものと認められないことは明らかである。

八  以上の次第であるから、被告は、各選定者ら(選定者坂本祐子を除く)に対し、別表(一)ないし(四)の基本給五六年度、五七年度、五八年度欄に記載された各始期において、同各記載の基本給に昇給させるべき債務があり、選定者坂本祐子に対し、別表(五)記載の基本給五六年度欄に記載された始期において同記載の基本給に昇給させるべき債務があり、かつ、住宅手当を支給されるべき地位にある者に対しては昇給すべき基本給に請求原因1(二)(2)記載の各割合に応じた住宅手当を支給すべき債務がある。また、被告は選定者らに対し、右昇給すべき基本給に請求原因1(四)記載の各定められた倍率を乗じた額の一時金を支給すべきである。

九  選定者らが昭和五七年四月一日以降現実に支給を受けている基本給、住宅手当、同年夏・冬の各一時金と昇給すべき基本給とそれに基づく住宅手当、同年夏・冬の一時金との差額は別表(一)ないし(四)(選定者坂本祐子については別表(五))の支給された賃金と昇給すべき賃金との差額欄にそれぞれ記載したとおりである。

よって、被告が選定者らに支払うべき債務不履行に基づく賃金相当の損害金は別表(一)ないし(四)(選定者坂本祐子については別表(五))の請求額(一)、(二)欄記載のとおりの金員であり、将来において毎月支払うべき賃金相当損害金は別表(一)ないし(四)(選定者坂本祐子については別表(五))の将来請求月額欄記載の金員である。

ところで、本件口頭弁論終結時である昭和五九年五月二日以降の未だ弁済期の到来していない右将来請求月額欄記載の金員については、前認定の本件紛争の経緯及び被告の支払拒絶の態様に照らせば、右のうち本判決確定の日までの分については予め請求する必要性を認めることができるものの、同確定の日以降の分については全証拠によるも予めその請求をする必要性があると認めることができない。

また、原告は遅延損害金として右請求額(一)欄記載の各金員につき商事法定利率によるべき旨主張する。

しかしながら、前認定の事実によれば、被告は社会福祉事業法により設立された社会福祉法人であり、設立当初から現在までの唯一の事業活動は大阪暁明館病院を設置運営し、その医療活動を通じて、生活困窮者等に医療援助を行うことを目的とする法人であって、商行為を営む法人ではない。そして、被告の経営する病院に入院患者を宿泊させることはあっても、右入院宿泊は、医療行為に付随して医療行為と密接な関係をもつものとしてなされるのであって、患者の宿泊を主な目的としてなされるものではないから、客の来集を目的とする場屋の取引とは本質的に異なるものであり、いわゆる営業的商行為にも該当しないものというべきである。

したがって、被告は商人とはいえず、原告らとの雇傭契約の締結も商人の営業に付随する商行為とはならないから原告らと被告との間の雇傭契約上生ずる債権についての遅延損害金の利率は民法所定の年五分の割合によるべきである。

本訴状が被告に送達された日の翌日が昭和五八年六月一九日であることは記録上明らかである。

一〇  よって、原告(選定当事者)の本訴請求は、その余の判断に及ぶまでもなく主文一ないし三項に記載した限度で理由があり、原告(選定当事者)の将来の給付請求のうち、本判決確定の翌日以降の請求部分については、予め請求をなす必要性が認められないのでこれを却下することとし、原告(選定当事者)のその余の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中清)

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